2011年10月17日月曜日

高尾山・多摩丘陵の問題が見えてきた・第1回東京の環境を考えるシンポジウムを終えて

           

  高尾山」といえば東京屈指の探鳥地、全国レベルでも有名な場所ですが、この地が野鳥の宝庫であることが分かったのは1937(昭和12)年からとのこと。それを明らかにしたのは、今回のシンポジウムの基調講演者・清水徹男さん(元日本野鳥の会東京支部副支部長・小金井自然観察会会長)。清水さんによると、「・・・野鳥の会会員の東京市水道局職員古賀正氏が昭和10~12年、高尾山薬王院の水道工事のために高尾山をたびたび訪れたところ、この地に野鳥が多いことに気付き、これを中西(悟堂)先生に紹介した。中西先生もかねてから高尾山は優れて野鳥の繁殖地とは気付いていたが、古賀氏に指摘されるまではさほど重視されていなかった」とか。今回の同氏がシンポジウム用に出されたレジュメ「高尾山の野鳥・戦前戦後を比較する」には、高尾山に関する戦前・戦後の文献が多数紹介されていて、それをもとに出典を読んでみるのはおもしろく、有意義と思われます。12ページにおよぶそのレジュメの最後に、「・・・残念ながら蒲谷(鶴彦)さんのこのご心配は現実のものになってしまった。高尾山の鳥は、20年、30年前と比べて『あまりにも変化がありすぎる』結果となってしまった。これからはわずかながらも良いほうに『あきらかに変化が見られる』となることを祈ってやまない」と記されています。圏央道問題、登山者の急増など、自然環境のこれからが心配されている高尾山の環境保全について、「高尾探鳥会の顔」として活躍された清水さんの講演は、温故知新という意味でも意義深いものでした。

  今回の東京の環境を考えるシンポジウム「第1回 高尾山・多摩丘陵の自然の今と昔・そして未来」〔写真〕は、高尾山の鳥相の変化を知ることだけではなく、その過去からの状況を知ることによって、現在足元にある問題を表面化しようというもので、高尾山に連なる多摩丘陵の現状を町田市と稲城市から報告してもらいました。元幹事の倉持内武さんの報告は、町田野鳥の会のメンバーからの話も加わり、より立体的な内容として聞くことができました。また、稲城市の「南山」の問題は、以前から話題になっていましたが、会員の菊地有子さんからの問題提起は、より具体的で身近なものとして認識することができました。今後発展させていきたいと思います。
  10月14日に開いたこのシンポジウムは「保護研究」という、当会としては新しいグループが立ち上げたものですが、約40名の参加を得て、意義の高い集まりとなりました。ここでの話題がきっかけとなり、実際の保護活動や調査などが始まることが期待されます。

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